73歳になった。2019-09-14


           黒部五郎岳 2006.08.08(脊髄損傷前)
  


一年前のブログ「70歳から生き方について考える。」の続編です。
四年前のブログ「国分功一郎「暇と退屈の倫理学」を読む」とも関係があります。

 73歳………私が子供の頃であったならば、まれにみる長生きで仙人みたいな想像もつかない年齢ということになるだろうか。まだ小さい子供の時のことだが、親戚のおばあちゃんが養老院に入るということで、風呂敷包みを手に提げて私の家のそばの道を歩いていく姿を見た時、見てはいけないものを見たような気がしたのを憶えている。養老院は私の家を通り過ぎたずっとずっと山の方にあった。今思えばあのおばあちゃんはまだ60歳前だったかもしれない。

 あの時私と目が合ってしまった、その場にたまたま出合わせたのがよくなかったのだ。この世の果てでひっそり死にに行くのだ、子供ながらにそんな気がした。その頃前後してだったが、深沢七郎作の「楢山節考」(木下恵介監督、田中絹代)の映画を祖母に連れられ見に行った。養老院に行ったおばあちゃんは私の祖母の妹で、遠く離れた町に長く一人で住んでいた。なぜだかその時の私には養老院と映画で見た姥捨山が同じもののように重なって感じられた。

 時代は変わった。いつしか世の中は人生100年などと云われ、60歳定年後さらに40年間を生きることが珍しくなくなるという、とんでもなく恐ろしい時代が訪れようとしている。ちなみに私の父は90半ばまで生き、私の妻の母も100歳近くまで生きた。急激に日本の世の中は高齢化の社会になってしまった。私もその高齢者の入口付近にいる一人である。

 70歳頃から感じ始めている不安がある。長すぎる老後をどう生きたらいいのか? はて困ったぞ!どうしたらいいものか? 先人の適当な前例かモデルはないものか? なければ自分でなんとか考え出さなけれならないのか? この不安はすぐには答が出そうにない。”人生暇つぶし” と言うには、あまりにも長すぎる人生である。

 60歳頃まで働いてその後は老後を適当に楽しんで人生を全うするなどという、一昔前までの人生モデルはもはや参考にならない。そんなモデルで生きていると、つぶしてもつぶしきれない暇がありすぎて、その老後の途中で 退屈のあまり ”私の一生って一体何?” と悲鳴を上げてしまう。その時、しっぺ返し的残酷な後悔が間違いなく待ち受けているのではないかと思う。

 私は老後の生き方というテーマを自覚しないままに、60歳からもう13年間も生きてしまった。まだ先は長そうだ、暇つぶしではない老後を考える必要がある。

 長寿はめでたい事ではあるが、高齢者にとっては困った事が四つある。一つは経済的な問題である。大半の高齢者は年金中心で生活している。この長すぎる老後を支えるために日本の年金制度は本当に大丈夫だろうかと考えてしまう。

 ①少子高齢化と人口減少、➁低成長の経済、③1,000兆円の国債残高、④増税を嫌う国民体質、⑤非正規労働者の増大、⑥経済のグローバル化による貧富の格差と貧困層の増大等、年金制度の将来にとっては不安材料ばかりである。

 年金制度に依拠した老後をイメージするより、生活保護の老後を設計する方が現実的ではないのか、認めたくはないがそんな感じさえしてくる。経済的に貧しい老後では悲しすぎる。この年金問題は何はともあれ日本の最重要な課題の一つである。私も日本人の成員の一人として、考えているところをこのブログでいつか書きたいと思っている。

 二つは、将来のことは分からないということである。100歳まで生きるつもりでいたのに70歳で死んでしまった。逆に、普通に生活していたら100歳まで生きてしまった。前者の場合には無念さが残り、後者の場合には持て余してしまう長すぎる老後が残る。

 何歳まで生きるか分からないのに、100歳までの人生プランを考えても仕方ないのではないか、途中で死んだらどうする。とりあえず日本人の平均寿命の80歳位まで生きると考えて、後は成り行きでいいのではないか、そのうちに頭もだんだんボケてくるだろうからと考えたくもなる。先ほど書いた私の不安はこの二つ目の困った事、いつ死ぬか分からない=いつまで生きるか分からない、と直結している。

 ところで、こんな問題でグズグズ&グダグダしている私を一撃で吹き飛ばすような名言がある。 「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」(マハトマ・ガンジー)

 三つは、老後の時間はそれまでの若い頃の時間とは質的に違うということである。個人差はあるが、<集中力>も<持続力>も<記憶力>も<思考力>も、そし て<感受性>も<好奇心>も劣ってくる、もちろん<体力>も<健康>もそうである。総じていえば、<気力>の衰えである。

 私は近頃特に記憶力の著しい衰えを何かにつけ体験している。それを赤瀬川原平氏流に「老人力」と肯定的にとらえてもいいが、実際には仕事上も日常生活上も困ることはなはだしい。個々人の習慣と努力でその劣化を食い止めるしか方法はないのではないかと思っている。

 そしてこの事は更に考えを押し進めるとそこには、その人なりの人生観や哲学とも関係する難しい問題が秘そんでいる、つまり老いと死の受容」という問題である。今の私にはこの問題は全くの手付ずである。

 ” 形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉”(良寛) 
 ”全身を埋めて、ただ土を覆うて去れ。経を読むことなかれ。………”(沢庵) 
この三つ目は私の不安と深く関係していることは云うまでない。

 四つは、家族による介護の問題である。高齢者になると身体的・精神的な疾患がどうしても目立ってくる。特に認知症と脳梗塞であるが、医療保険・介護保険があるので病院への入院、デイサービスや老人福祉施設等への通所や入所、ホームヘルパーのサービス等によりその一家族の介護の負担はかなり軽減される、しかしそれでもその家族に残る負担はまだまだ大きい。

 私は介護保険で要介護度5の重度身体障害者であるので、デイサービスやショートステイでの認知症の高齢者の姿をよく知っており、その介護の大変さを実感せざるを得ない。そもそも私自身が24時間要介護の高齢者の身であり、私の妻は老々介護で毎日孤軍奮闘中で疲労の連続の中にある。これらの事に向けての医療保険と介護保険さらに社会福祉の行政の充実を待ち望む次第である。

 老後の生き方についてヒントを得ようと啓発本を数冊読んでみたが、期待しているような内容の本はなかった、更に調べてみたがやはり低レベルのものばかりだった。世間一般では老後の生き方の問題は健康と経済の実用的な問題に偏っており、それ以外の内面的なことはお粗末にしか扱われていない。

 書かれていることは煎じ詰めれば、老後に向けて若い頃から計画していろいろと準備をしなさい(そんなことは老人に言わないで若い人に言え、余計なお世話だと言い返されるのがオチだろうが)、そして老人になったならば自信を持って独創的に生きなさいとは言ってはいるが、結局は常識と通俗的道徳に従って生きていきなさいという域を出ていない。

 そこで「老後」から「隠居」と視点を移して考えてみることにした。言葉や語感が変わると気分が変わることがある。隠居に関する本や高齢者になって書かれた本などをいくつか読んだ。本に書かれている先人達の悠々自適な隠居生活を読んでいくうちに、霧が晴れたようにフウーとある閃きが興った。

 創造的活動」というキーワードの発見である。そうだ! これのあるなしが全てを決するのだ。これがなければ老後(隠居)の生活をいかにイメージしようともむなしい。老後あるいは隠居を考えるということは、創造的活動をするかしないかを考えることと同じことではないのか。

 悠々自適な隠居生活とは恵まれた一部の老人の話ではないのか。確かに全ての人が理想的な状態で老後(隠居)を迎えられるわけではない。誰もが経済的に裕福とは限らない、従って老後も働かざるをえない人は多い。家族に恵まれない人もいるし、健康に恵まれない人もいる、人生様々である。正義が勝つとは限らないこの世をとにかく生き抜き、そうして晴れて老後を迎えた。その老後ははたしてどうなるのだろうか。

 私も迷いの渦中にあり、「創造的活動」と発声してみたに過ぎない。すると曇っていた目の前が晴れてきたような気がするだけである。まだ形もなければ内容もない、「創造的活動」という言葉があるだけである。この言葉を手がかりに前進して見よう、私は意識的にその立場に立った訳である。私の勝手な解釈であるが、” はじめに言葉ありき ” である。

 四肢麻痺で寝返りもできず24時間要介護で、しかも73歳という年齢の私にとって、これからの創造的活動ってそもそも何だろうか? 創造的という言葉の字面にあまりとらわれる必要はないと思う。自分が面白いと感じ自分のペースで持続できれば、それが私にとって創造的ということにほかならない、今はその程度に考えている。重点は ”活動” の方にある。

 創造的活動の内容は人様々であろうと思う。その人なりの持味で創造的活動を行う、それが私が望む老後(隠居)の姿である。それはこんなことだとかあんなことだとか私が例示できるものではない、何でもいい。私もこの年齢になればやりたいと思っていたことや、まだやり残したことの二つや三つはありそうだ、始めてみようかと思う。

 一回ポッキリでは創造的活動とはいえない。もしうまくいかなかったならば別のことをすればよい。やってみようと思う気持が大切だ。若い頃からしている事の継続だってかまわない。この世に自分が生きたという証(あかし)を遺すくらいの気持で心を傾けられればオンノジである。

 眠ったように生きて老け込んでいくだけが人生ではない、せっかく生まれのだ、何かを始めるのに遅すぎるという言葉はこの世にはない。そう思って何かしら活動している自分がいればそれでいいと思う。


 
 良寛さんの生涯をイメージしてみる、すると私がいう「創造的活動」が色褪せて見えてきた。日がな一日縁側に座って日なたぼっこしながら猫を抱いている翁は、私の老後の理想の姿ではなかったか。そこには時間を持て余して退屈している姿など微塵もない。モノクロニックな世界を乗り越え、しがらみと煩わしさをも消化して楽しみと感じとり、春夏秋冬の自然の一部に化している翁に対して、創造的活動をなどと言うことは場違い、身の程を知らないと云うほかはない。

 そもそもの話だが、私は自分が73歳であるということに実はピンと来ていない。まだ自分は50歳代ではないかという感覚が、正直なところ躰の何処かに残っている。老いとか死とかはずーっと先の事だと何処かで思っている。今まで書いてきた事と矛盾するようだが、本当のところ老後の生き方をきちんと考えようという身の構えがまだできていない。真面目なふりをして上の黒字の文章を書いてしまった、このままにしておく。

 人間の死ぬ記録を寝ころんで読む人間(山田風太郎)

(中途半端だが、このブログはこれで終わる。)