高橋和己「邪宗門」を読む。2015-07-25

(写真の説明)
福万山(湯布院の近く)のエゴノキの並木
2005.6.5(脊髄損傷前)



夕暮れ時、小児マヒの少女を背負って老婆が家路を急いでいた。そのとき、川辺の草むらの中に子供の足が伸びているのが、視野の片隅にとらえられた。老婆は早く家に帰りたい気持ちで、見て見ぬふりをして通り過ぎようとした。すると突然、老婆の足は呪文をかけられたように動かなくなった。老婆は行き倒れの子供を見捨てようとした、罰が当たったのだ、自分の信仰心の至らなさを恥じた。老婆は畦道に金縛りになった姿勢のまま泣いた。一人の行き倒れを助けては一人の食扶持を減らさねばならぬという、自分の醜い心に涙を流した。老婆は新興宗教「ひのもと救霊会」の信者だった。

こういうくだりから始まる「邪宗門」は、昭和初期から敗戦直後までの約20年間の物語である。読み進めていくと、国家権力により大正末期から昭和初期にかけて2度弾圧を受け、壊滅に追いやられたある新興宗教を想起する。地名や人名の類似性も、京都の北部の山合いの盆地で起こったその新興宗教の事件を下敷きに、この小説が書かれたことを推測させる。

以下は、大正中頃から敗戦直後までの日本の主な出来事だ。本小説を理解するのに役立つと思う。

1919年 パリ講和会議・ベルサイユ条約
1923年 関東大震災
1925年 治安維持法施行
1929年 世界大恐慌
1931年 満洲事変
1932年 満洲国建国、5・15事件
1933年 国際連盟脱退
1936年 2・26事件
1937年 日中戦争始まる
1941年 太平洋戦争始まる
1945年 広島・長崎に原爆 、ソ連対日参戦、 ポツダム宣言受諾
1946年 日本国憲法公布
1947年 2・1ゼネスト中止

イギリス・フランスは、第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国を解体し、今のアラブ世界の国境線を自分らの都合のいいように決めた。そこから、現在のクルド人問題、IS(イスラム国)の問題が始まった。同じく敗北したドイツの戦後処理を決めたベルサイユ条約(1919年 大正8年)は、ナチスドイツを生む一因となった。 中国ではベルサイユ条約に反対して「五・四運動」が起こった。現在の中国の原形はそこから生まれた。日米関係もこのころから険悪化していく。

現代史の始まりは戦後というより、その20数年前のパリ講和会議・ベルサイユ条約あたりと考える方がしっくりいくと思う。そして、「邪宗門」はまさにこの現代史の始まりあたりから物語が展開していく。

私は1946年(昭和21年)の戦後生まれであるが、この時代の日本つまり軍国主義と徴兵制の世の中に生きていたならば、自分はどんな生き方をしただろうかとよく考える。これは自分とは何者なのかと問うこととほぼ同義である。身体障害者になってから、この問いは益々私に迫ってくる。


さて何故「邪宗」なのか、その教えとは何か。今年は戦後70年にあたる。現実の戦後はGHQによってその基調が決められたが、著者が本小説で構想したもう一つの戦後は示唆に富む。そして「邪宗」である教えの内奥が明らかにされていく。

難解な漢字が多く、三部から成る長編なので読み終えるのに骨が折れる。しかし、読了したあなたは自分の心の在り様が今までと違っていると感ずるはずである。その証拠に、これまで小事に立腹しイライラしていたあなたは、たいていのことは笑って済ませることができるようになる。一方どうでもよくない大事なことに対して、自己保身から安易に妥協していたが、それではよくないと粘り強く追及するるようになる。笑って済ませることと、どうでもよくない大事なこととを区別する基準がはっきりしてくる。自分自身のとらえ方、世の中の見え方が違ってくるはずである。私はそれを精神のポテンシャルが高くなったと表現する。

若い時読んだ本である。再読して深い感動は変わらなかった。1965年~1966年(昭和40年~41年)、高橋和己35歳のときの作品(河出書房新社)である。その4年後39歳の若さでがんで死んだ。生きていれば80歳半ば、今の世の中を見て何と言うだろうか、忘れられた感のある高橋和己であるが甦らせたい人である。

コメント

_ 出田良輔 ― 2015-07-29 21:16

こんばんは。
むぅ・・・「邪宗門」、表紙の印象から少し距離をおいていましたが、
先ほど、Amazonでポチリさせていただきました。

私の夏の読書本棚に並べたいと思います。

福万山のある道、いいですね〜
6月なのにうっすらと雪化粧でもしてるかのようですね〜
いつか通りたい。

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