私はあと何年生きるのだろうかー脊髄損傷者の余命2014-12-27

北鎌尾根より槍ヶ岳を望む  2004-8-4(脊髄損傷前)
(写真の説明)
北鎌尾根より槍ヶ岳を望む 2004.8.4 (脊髄損傷前)



脊髄損傷者の余命について私が考えたことを書きます。

私は65歳の時脊髄を損傷した。そのため、あとどのくらい人生の時間が残されているのか知りたい。おおよその余命を知ることは、これからの人生をどう過ごすかを考える上で必須なことであるし、介護する家族のためにもある程度はっきりさせる必要があるだろう。それにもかかわらず、脊髄損傷しているのだから余命は短いだろうと漠然と思っていたり、考えてもしょうがないと思っていたりと意外に誰も追及しない。以下、脊髄を損傷したご本人もしくはご家族の方の参考にしていただけると幸いである。

ただ、私はパソコンの音声入力とわずかに動く手を使ってこの文章を書いている。多くの時間を費やしているにもかかわらず、なかなか思い通りに入力できない。読みにくい箇所もあるかもしれないがお付き合い願いたい。

私は3年前の65歳の時、駅の階段で転倒し頸椎を骨折した。脊髄損傷(C4)で四肢麻痺となり、身体障害者一級、介護保険では要介護度 5となった。足は動かない。腕はわずかに動くが、手の指は動かない。寝返りはできない。胸から下は触覚や温感はない。食事、排泄の処理、衣服の着替え、歯磨き、入浴、ベッドからの起きあがり、車いすへの移動、などなど他人の介助なしには何一つできない。要するに自分一人では日常生活が全くできない体になってしまった。

 1年間病院に入院した。退院して自宅に戻り 2年が経過した。この3年間幸運にも大きな病気はしなかった。手足を動かすリハビリにも努めた。おかげで腕は顔まで持ち上がるようになった。パソコンも操作することができるようになった。不便ながらも身体障害者としての日々の生活にも慣れてきた。何もなければ家族や多くの方々の介助に助けられながらの、大変ではあるが平穏な生活が続きそうである。どれくらい続くのだろうか。これから先どれくらいこの身体障害者としての時間を生きるのだろうか。介助のため妻をはじめ家族を何年間拘束するのだろうか。

厚労省の「平成24年簡易生命表の概況」http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life12/dl/life12-14.pdf#search='%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%AF%BF%E5%91%BD+%E6%9C%80%E6%96%B0'(平成25年7月25日)によると、日本人男性の平均寿命は約80歳である。70歳の年齢だと余命15年となっている。おおよその計算であるが、私は今 68歳なのであと15年 、83歳位まで生きることになる。問題は脊髄損傷ということで、どれくらい余命が短くなるかということである。

ここに「高齢者脊髄損傷の予後」(住田幹男)(リハビリテーション医学2000 、37、282-291)という 10 ページの研究報告がある。私がリハビリに通っている、飯塚市にある「独立行政法人総合せき損センター」の理学療法士のI先生から入手したものである。予後とは病気の進行具合、治療の効果、生存できる確率、などの医学的な見通しという意味である。

読んでみて医学的に正確には理解できない箇所もあったが、、私の立場で考えると今の日本の医療・介護の平均的な水準に身を置く限り、健常者と比べ大幅に短命になることはない。褥瘡、尿路からの雑菌感染、風邪からの肺炎の併発など、脊髄損傷者が固有にかかりやすい疾病を克服できれば、健常者と同じ程度に生きられると理解した。

例えばガンになる発症率は両者同じようなものだろう。差が出るとすれば、脊髄損傷者は一般に体力が落ちているので、いったん病気になると重症化しかつ合併症を引き起こしやすいということではないのか。体を清潔に保つ、バランスのいい食事をする、リハビリを続ける、体調が悪い時はすぐ医者に相談するというような生活ができれば、健常者とそん色ないほぼ同じ程度の余命を生きることができるのではないかと了解した。

そのためには医療・介護の環境が重要である。へき地に住んでいて医療機関や介護施設が十分でない場合や、独居生活や老老介護で家族からの介護が十分でない場合などは、本質的には福祉行政の問題であるが、とりあえずケアマネジャーに強く要望を出し手厚いケアプランを作ってもらうことである。私もまもなく老老介護という世界に生きており妙案があるわけではないが、日々の生活が悲惨になり短命に終わってしまうという人生は送りたくない。

かって脊髄損傷者の余命は健常者と比べ、大幅に短いと考えられていた。しかし医療技術の発達で今はごくわずか短いだけである。私の場合あと15年位が残された年数であると了解している。考えようによっては一仕事も二仕事もできる年数である。将来のことは誰もわからない。しかし大ざっぱでもあと何年位は生きられるかを考えておくことは、大事なことである。68歳という年齢は残された老後を晴耕雨読などと悟り済ます年齢でもない。脊髄損傷というハンデはあるが、だからかえって物事がはっきりし精神を集中しやすくなったともいえる。ともかくも私はこれから脊髄損傷者として生きることになる。

コメント

_ 申 春植 ― 2015-02-04 09:31

先生、命について考えさせられました。
今、生きていることを大事にしていきたいと思っております。

_ 出田 良輔 ― 2015-02-13 21:49

こんばんは。
・・・・・微笑息(ニヤリ)。
とりあえずブックマークしました。

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