「また、桜の国で」(須賀しのぶ著 祥伝社)を読む。 ― 2018-07-20
剣岳 2006.08.26(脊髄損傷前)
1938年(昭和13年)秋、主人公・棚倉慎(まこと)はワルシャワの在ポーランド日本大使館の書記生として赴任するため、ベルリンからワルシャワまでの夜行列車に乗った。車中でユダヤ系ポーランド人の青年がドイツのSS(ナチス親衛隊)に痛めつけられている場面に出会い、正義感から中に入ってその青年を救出する………壮大な物語はここから始まる。慎は満州にある外務省の哈爾浜(ハルピン)学院で、ロシア語、ドイツ語、ポーランド語を学び外交官になっていた。日本に亡命した植物学者のロシア人の父と日本人の母との間に生まれたハーフで、顔かたちは父方のスラブ系の血を引いた27歳の青年である。
ナチスによるチェコスロヴァキアのズデーテンの割譲(1938年)から始まり、独ソ不可侵条約とポーランド侵攻分割(1939年)、アウシュビッツ収容所(1940年~1945年)、カティンの森事件(1940年)、リトアニア領事杉原千畝のユダヤ人救出(1940年)、ワルシャワのユダヤ人ゲットーの蜂起(1943年)等を織り交ぜてワルシャワ蜂起(1944年)に至るまでがこの小説で綴られている、いわば凝縮された東ヨーロッパにおける第二次世界大戦史である。
慎は9歳の時、東京の自宅で偶然ポーランド人のシベリア孤児カミル(10歳)と出会う。18年後、慎が在ポーランドの日本大使館勤務となった時にこのポーランド孤児達も同じ年頃の青年となっていてワルシャワでの交流が始まる。この部分は作者のフィクションの感じもするが似たような歴史上のモデルがあるのかもしれない。この青年達の友情と交流は重い歴史の中で抒情的な旋律を奏でていて感動的である。
この小説を読んでいる時、サッカーワールドカップで日本対ポーランドの試合が行なわれていた。テレビでは対戦相手のポーランドが大の親日国であり、そうなった歴史的経緯を紹介していた。私はこの小説を読むまでその歴史を知らなかった。
ポーランドという国は世界地図から二度消滅した歴史をもっている。二度目はよく知られているように、第二次世界大戦中のナチスドイツ(ヒトラー)とソ連(スターリン)による侵攻分割で、この時代がこの小説の歴史的舞台である。最初の消滅は、18世紀末ロシア、プロイセン(ドイツ)、オーストリアの三国による分割で、それから第一次世界大戦が終結するまで100年以上にわたり隣国の強国に蹂躙されてきた。帝政ロシアに支配された地域ではポーランド語を使うことが禁止され、徹底的に反ロシア活動が封じ込められた。自国の独立のために戦った多くのポーランド人が逮捕され極寒のシベリアに抑留されて強制労働に従事させられた。1918年のロシア革命で帝政ロシアは消滅しソ連が生まれたが国内は内戦状態に陥ってしまった。当時シベリアには10万人以上のポーランド人が生活していたが、深刻な飢餓状況に陥り疾病が蔓延し生活は凄惨を極めた。特に親を失った孤児達は悲惨な境遇になりその救出は火急を要する人道上の問題になっていた。しかし、アメリカ、イギリスをはじめ欧米諸国は要請されたがこの救出には動こうとはしなかった。
唯一日本だけが手を挙げ、1920年(大正9年)から1922年(大正11年)にかけてウラジオストックから敦賀港経由で765人のシベリア孤児達を受け入れた。原敬内閣の時である。当時日本はお世辞にも経済的に豊かな国とはいえなかったが、官民一体となって孤児達を救出し東京と大阪の快適な施設に迎え入れて生活させた。孤児達はシベリア生まれでまだ母国を見たこともなかった。中にはポーランド語を話せない子供もいた。このためポーランド人の大人60数名が呼び寄せられ、また多くの日本人の看護婦は献身的なお世話をした。若き看護婦が腸チフスに感染し殉職している。着る服も無く栄養失調で腸チフスが蔓延していたが、孤児達は徐々に栄養をつけ健康状態は改善していった。そして独立間もないポーランドへと無事送り届けられた。
この事について平成5年から4年間ポーランド大使を務めた兵藤長雄氏は回顧して次のように述べている。https://shuchi.php.co.jp/article/1812 https://shuchi.php.co.jp/article/1812?p=1
シベリア孤児達はポーランドに帰ると孤児院で生活を始めた。その中の一人、イエジはやがてワルシャワ大学を卒業し、自らの子供時代と重ね合わせるように孤児院を経営し、また、かってのシベリア孤児達600人以上を組織して極東青年会という団体を作り親日の友好活動を展開していく。さらにワルシャワ蜂起までの対ナチスのレジスタンスを闘い抜いた、そのイエジの活躍はこの小説でも詳しく取り上げられている。
戦況の悪化でポーランドの日本大使館は閉鎖を余儀なくされ、慎はソフィアの在ブルガリアの日本大使館勤務となった。日本はドイツ、イタリアと三国同盟を結んでいたが、慎は再度ポーランドへ行きイエジの指揮下に入り対ナチスのワルシャワ蜂起に参戦する。ドイツ軍はスターリングラードの攻防などでソ連の赤軍から攻め立てられ敗走を余儀なくされていたが、態勢を立て直してワルシャワ蜂起を鎮圧する。ソ連の赤軍はワルシャワを南北に流れるヴィスワ川の東岸まで迫っていたが、なぜかドイツ軍と戦おうせず、ワルシャワ蜂起に立ち上がったポーランド国内軍と市民を援助せず見殺しにしてしまった。戦後のポーランドの政治的支配を狙ってドイツ軍とポーランド国内軍が消耗して共倒れするのを待っていたとも云われるが、ソ連(ロシア)側の資料が公開されておらず真相は現在までよく分かっていない。ワルシャワ蜂起でのポーランド人の死者は軍民合わせて20万人、第二次世界大戦での死者は600万人と云われている。
終章。1956年(戦後11年)ポーランド系アメリカ人となっていたカミルは東京にいる慎の父を訪ね、ワルシャワ蜂起で勇敢に戦った慎の最期を報告した。それを聞いて胸の奥深く詰まっていたものが腑に落ちたのだろうか、慎の父はレコードをかけた………ショパンの「革命のエチュード」である。まだ子供だった36年前、カミルと慎が秘密の約束をしたあの時もこのピアノ曲が流れていた。
私は何度もこのピアノ曲を聴きながら、この小説を読み進めた。1830年、ウィーンにいた20歳のショパンは、祖国の独立に蜂起したポーランド人がロシアから攻撃されワルシャワが陥落したという報せを受け失望し落胆した。その時のほとばしる熱情を叩きつけるようにこの「革命のエチュード」に込めたと云われているが真偽の程は明らかでない。
(追記) 連想ゲーム的に次の本を読み映画を見た。
「夜と霧」 V.E.フランクル著 みすず書房
「アウシュヴィッツを志願した男」 小林公二著 講談社
「灰とダイアモンド」 アンジェイ・ワイダ監督
「カティンの森」 アンジェイ・ワイダ監督
コメント
_ 新貝耕市 ― 2018-07-24 08:19
待ってました。久しぶりに執筆が再開しましたね。最近の3つの話、読み応えがあり、自分自身を見返しています。松崎さんから何度か聞いていた「noでなければyes」の背景にはKさんとのこんなやりとりがあったのですね。今年は6年ぶりに北アルプス行きを予定しています。双六岳、黒部五郎岳です。
_ 辰 紘 ― 2019-01-02 14:56
松崎さん、2019の年賀状で貴兄のブログのことを知り読みました。長年のドイツ勤務時代に僅か1回でしたが、ポーランドを訪問しました。1992年のことでまだ東西冷戦が崩れていない時代でした。ワルシャワの暗い街(夜は真っ暗、人々の顔色も青くて表情も暗い)に耐えきれず、南部の古都クラクフを訪ねて人々の明るさに触れ、序でにアウシュヴィッツまで足を伸ばして例のvernichtungslager殺戮収容所跡地も具に見学しました。ポーランド人は不幸な歴史に拘らず文化的にも優秀な民族ですね。親日的であるというのは嬉しいことです。主題の書物については初めて知りました、早速三鷹図書館で予約しました。読むのが楽しみです。
_ htatsu0621@gmail.com ― 2019-01-21 11:05
松崎さん、三鷹図書館から借り出して、”また、桜の国で”を読みました。シベリア孤児の話や、1939年ドイツ侵攻以前のポーランド大使館が反ナチを厭わない行動を取る大使や
大使館員が居たのかなど全く無知でした。杉原千畝の話は承知してましたが。この小説がどの程度にフィクションなのか日本ポーランド関係史、シベリア孤児、ワルシャワ蜂起などの書籍を借り出して読んでみます。
兵藤長雄元大使の記事も読みました。元孤児の大使館での涙の話は感激でした。著書の”善意の架け橋”も図書館で借り出して読みます。
史実は兎も角、小説のテーマ、中身は心打つものがありますね。幾たびも西から、東から責められて崩壊したポーランド人の民族としての誇り、時代の流れに抵抗する心根は我が身がその場に置かれた時に果たしてどう行動するか考えさせられます。
大使館員が居たのかなど全く無知でした。杉原千畝の話は承知してましたが。この小説がどの程度にフィクションなのか日本ポーランド関係史、シベリア孤児、ワルシャワ蜂起などの書籍を借り出して読んでみます。
兵藤長雄元大使の記事も読みました。元孤児の大使館での涙の話は感激でした。著書の”善意の架け橋”も図書館で借り出して読みます。
史実は兎も角、小説のテーマ、中身は心打つものがありますね。幾たびも西から、東から責められて崩壊したポーランド人の民族としての誇り、時代の流れに抵抗する心根は我が身がその場に置かれた時に果たしてどう行動するか考えさせられます。
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