「五体不満足」「障害者の経済学」を読む。2015-04-26

(写真の説明)
五葉岳(宮崎県北部)付近のアケボノツツジ、ゴールデンウイークの頃
2005.5.4(脊髄損傷前)


日本における障害者数は741万人で人口の約6%になる。人口千人当たりで、知的障害者4人、精神障害者25人、身体障害者29人である(内閣府 障害者白書 平成25年版)。 私は会計事務所を業としているので、知的障害者と精神障害者の団体(社会福祉法人等)の会計と監査の仕事を10数年行なった経験があり、障害者とも直に接しある程度障害者の実状は知っていた。3年前脊髄損傷で身体障害者1級となり、今度は私自身が障害者となった。

①「五体不満足」(完全版)(講談社)は、先天的にほとんど手足がない乙武洋匡氏が、出生から早稲田大学生までの生活を綴ったものである。ベストセラーになり乙武氏は一躍有名人となった。

②「障害者の経済学」(東洋経済新報社)は慶應大学商学部教授の中島隆信氏の著作で、障害者の団体を数多く取材し多くの示唆に富む提言をしている。子息は脳性マヒで、氏は障害者の父親でもある。

新米の障害者である私はこの種の本を、障害者として快適に生きていく上で何かヒントになることはないか、という立場で読もうとする。もとより世の中の障害者問題は多岐にわたりその内容も複雑である。障害者が生存している限り、理想や理念の前に切羽詰まった現実があり、一朝一夕に改善できるものではないのも確かだ。

近年、国の障害者問題の施策は大きく様変わりしようとしている。障害者自立支援法(平成18年)から障害者差別解消法(平成25年)に至る法律の制定施行である。国の法律である以上当然賛否両論あり、問題点があるとの指摘も多い。大まかな言い方をすれば、障害者を密室に閉じ込めていた状態から、社会の構成員として考えようという動きである。例えば、これまでは国は「授産施設」なる所に障害者を「措置」(税金を使って面倒をみてもらう)してきた。現在は、企業は従業員の2%は障害者を雇用することが義務付けられ、共生社会の実現を目指そうとしている。

障害者になってみて、障害者の社会進出が言うは易く行うは難しであることが実感としてよく分かった。障害者の就労のハードルは思いのほか高い。一般には障害者の能力は低いので、それとマッチングした仕事を探すことは簡単ではない。かつ、自宅と職場の行き帰りの交通機関、障害者用のトイレ、段差のバリアの問題等が解決されなければならない。健常者の手助けも必要である。大変なコストがかかる。こういうコストを支払ってまでして、障害者の就労や社会進出を推進しなければならないのだろうか。障害年金や生活保護費を手厚くするほうが、コストはかえって低く抑えられるのではないか、障害者もそちらのほうを望んでいるのではないか。

こういう疑問は、障害者を社会の構成員と考えていないところから惹起すると思う。正義感や人道的見地だけではどっちつかずの結論になりかねない。

弱者(能力の低い者)は、市場メカニズムの中で強者(能力の高い者)に敗れ敗者となる。弱者は強者のおこぼれで生きる。おこぼれとは税金による所得再分配、つまり障害年金や生活保護費等である。福祉とは所詮そういうことである。今の世の中はこの仕組みで成り立っている。私は所得再分配や福祉を否定しているのではない。いや、もっと弱者に手厚くするべきだ考えている。弱者と強者の関係はこのパターンしかないのか。このパターンを前提にして、障害者問題を考えていいのかという疑問である。障害者も社会の構成員であるという考えをもっと理論武装したいのである。


②に、経済学でいう「比較優位」の話が書いてある。リカードが提唱した貿易(国際分業)の理論である。アメリカのサミュエルソンは、これを弱者と強者の共存の理論として解釈した。弱者を排除するより弱者と共存したほうが、強者にとっても得(経済的所得が増える)、勿論弱者にとっても得になることを理論的に説明したのである。

国が推し進めようとしている健常者と障害者の共生社会とは、どういう考え方を下敷きに構想されているのか。正義感、人道的見地、国際的動向だけでは弱いと思う。共存共栄の関係とは、上で述べた内容を分業や仕事のシェアの問題だと矮小化して考えるべきでもない。確固とした理論化が求められる。

①乙武氏について、二つのことを書きたいと思う。

一つは、障害者側のモラルないしマナーの問題である。乙武氏は、「イタリアン入店拒否について」http://ototake.com/mail/307/と題して、自らのホームページで当時話題になった、氏が起こした事件のいきさつと反省について述べている。銀座の有名レストランに繁忙時に来店し、予約はしていたものの車椅子(約100kg)である旨を告げていなかったため、店主とトラブルとなり入店を拒否されたという事件である。その店は2階にあり、エレベーターは2階には止まらない構造の建物だったという。

健常者と障害者とのより良き共生社会を目指そうとすれば、その過程で不可避に起こるであろう、この種の問題をどのように考えたらいいのか。「バリアフリー法」「障害者差別解消法」を拡大して解決しよういう考え方がある。私は、障害者も社会の構成員であり、障害者であると同時に一般社会人であるという考え方に立っている。その立場からすると、上の問題は一般社会人としての見識いや常識の問題ではないのかと思う。

もう一つは、「障害を売り」にする生き方についての乙武氏の心の迷いである。私は「障害を売り」にして生きてもいいと思う。「障害を売り」に生きる人間は不断に現れるだろう。生涯それで生きることができれば、それはそれで一つの才能というほかない。「障害を売り」にする生き方も、当然ながらこの市場社会の中で競争と淘汰に晒されているからである。レベルに達していなければ一過性に終るだけである。

乙武氏はこの問題に極めて敏感で悩んだ。どこへ行っても「五体不満足」の著者としてのあの乙武洋匡、そこから脱皮し「障害者ではない自分」をさがす彷徨が始まる。①の完全版には最後の章でこのくだりが書いてある。そしてスポーツライターになる。その前までの章は、障害者だけど明るく元気に生きてきましたという作文である。そこにとどまっていたら、乙武氏は一過性の話題提供者で終わっていただろう。私も障害者の一人として、この最後の章で救われた気がした。障害者は「障害者である自分」と「障害者ではない自分」の二つを同時に生きていると思う。

コメント

_ 井上ゆかり ― 2015-05-21 09:01

おはようございます!
夏が近づいてきましたね~(^-^)/
私達、出来ることはお手伝いします(^-^)/
またお邪魔しまぁす(*^^*)

_ 関屋正恵 ― 2015-05-25 11:39

初めて読ませていただきました!ご自身の言葉でちゃんと伝えられる文章力に脱帽です。日頃、ラインや簡単なメールでのやり取り慣れているものですから、松崎さんのブログに「そうだ!そうだ!」と何度も相づちうつ私がいました。
私もこの仕事に関わるようになって、高齢者問題(実は問題ではありません)や障碍者関連は、実生活においても避けられない現実です。どうにかできないものか、どうしたらいいのか・・・・の繰り返しで今日があります。
行政任せでは、なにも解決せず色んな人の力を借りてきましたので、今はどうにか笑って過ごせています。特にうめはうすでは、スタッフの力に頼りっきりで感謝しています。どうぞ、対応等に関しましてもなんなりと仰って下さいませ。

_ 出田良輔 ― 2015-05-31 07:50

こんにちわ。松崎さん。
出田です。
旅先で読んだ本
「僕の死に方」流通ジャーナリスト 金子哲雄著
実体験を通じた面白い本でした。
そこに、在宅医療をされている先生とのやりとりの中で
「…治療費を支払えない患者さんが急増している…」
「先生…支払いできない代わりに、この漬物を持って行って下さい」
といった一節がありました。
何でも屋さんをしている僕の親父も、同じようなことを言っていました。
「出田さん。孫に年金を使いすぎて…なので、今日のお代をお支払いすることができません」
「…代わりに、お米を一俵持って行って下さい…」

先のような患者さんへ人道的観点から診察を行うお医者さんたちの、
年間の個人負担は200〜800万円と推定されていました。

金子さんは、こうした地域医療の崩壊を食い止めるために、
何かしらの基金を信託銀行と作り、運用益等にて地域医療を手助けできる仕組みが必要だ
ともおっしゃっておりました。

高価なお薬は数万~数十万円する。一方で、日常的医療行為の摘便は1,000円程です。
医療経済的に見てみると、いろんな問題点が見えてくる気がします。

気軽に手にとった本でしたが、
医療人として、色々考えさせられ、大切なことを教えてくれた気がしました。

なんだかよくわからないコメントになってしまいました。
申し訳ないです(_ _;)
それでは、またお会いましょう。

_ 松尾彰 ― 2015-06-03 11:24

松崎さんへ
ご無沙汰しております。あだると山の会632番の松尾です。
この4月に山の会のブログ担当の運営員になりました。新貝さんから、松崎さんのブログリンクの件が運営員会に出され、もちろんみなさんすぐに賛成しました。
松崎さんに初めてお会いしたのは、2011年9月の読図学習会の時だったと思います。
とても勉強になったし、あの時の資料は大切に保存しています。
原発事故のあと久住(法華院泊)にご一緒したのも覚えています。あのときは道すがら原発問題を話しましたね。私が小出裕明さんの説を話したとき、松崎さんはよくご存じだったのを嬉しく思いました。また、経ケ岳~多良岳の縦走のときもご一緒させていただきました。鶴屋さんがCLをなさっていた山行です。あのときは経ケ岳手前のつげ尾に至る傾斜で、体感感覚と等高線の間隔の関係について松崎さんが説明してくださったのをよく覚えています。先日あのときと同じコースを歩いたのですが、そのことを鮮明に思い出しました。
この6月18日に、山の会で読図机上学習を行います。講師は私がすることになっています。この前まで新貝さんが講師をされていたのですが、彼は現在気象の学習に専念されていて、読図は私の方に回ってきました。
 それでお願いなんですが、松崎さんが作成されていた読図資料(2011年9月)の一部を使わせてもらってもよろしいでしょうか。読図に必要な知識はもとより、松崎さんが山に丁寧に向き合われていることが感じられる資料になっていて、とても気に入ってます。どうぞよろしくお願いします。
私にとっては松崎さんは読図のお師匠さんでした。
上記URLは私が開設しているブログです。物理実験の動画を載せています。
よろしかったらご覧ください。
それでは失礼いします。

松尾彰

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