車椅子の仲間と阿蘇に一泊旅行 ― 2015-11-11
宴会 が終わって 2015.10.20
飯塚にあるせき損センターの外来でリハビリをしている。その車椅子の仲間で、阿蘇・九重の一泊二日の旅行をした。3年前もしたそうだが、その時は私はまだ入院していた。前のブログ「車椅子の仲間と牡蠣小屋へ」でも書いたが、車椅子の仲間で年間いろんなイベントをしている。今年は牡蠣小屋から、柳川のさげもん、唐津のイカの活き造り、焼肉バーベキュー、キリンビールのコスモス園と楽しいことを求め外出してきた。今回はS君のお父さん、N君のお父さん他が半年前から計画してくれた。Kさん達が下見もしてくれた。
毎月5000円づつ積み立てて3万円貯まった。15000円はホテル代、15000円はお土産代などのお小遣いとして当日配ってもらった。なんだか得した気分になった。総勢16人(内障害者7人)、車6台の団体旅行である。コースは次の通り。
10月20日(火) 広川SA(集合)➡あそ望の郷くぎの(昼食)➡白川水源➡阿蘇ファームランド➡かんぽの宿「阿蘇」(宿)
10月21日 (水) 宿➡九重夢大吊橋➡道の駅「湯布院」(昼食、解散)
私は宿泊する旅行は初めてで、車椅子とベッドの間の移動をどうするかが心配だった。このホテルにはリフトのある部屋が二つあり、重症の度合いでN君と私が使うことになった。さすが温泉に入ることはできなかったが、他の家族の方の手助けもありリフトで車椅子とベッドの間の乗り移りが簡単にできた。リフトがありホテルの従業員が少し手助けしてくれれば、私と家内の二人でも宿泊の旅行ができる気がした。
阿蘇、九重の山々は脊髄を損傷する前はよく登った。今回の旅行でその山並みを見ながら色々な山行が思い出された。
学生の時、妹二人を連れて火口東から火口西まで噴煙があがる中岳火口の縁を歩いたのが、阿蘇登山の最初である。丁度50年前のことだが、今思うと随分危険なことをしたものだ。50歳を過ぎて一人で仙酔尾根から高岳に登り、帰りは少し冒険してみようと登山道でない崖みたいな所を下りて、転倒して鎖骨と肋骨を骨折してしまった。必死の思いで駐車場にたどり着き、左手だけで車を運転して夜遅く自宅に帰った。これがきっかけで我流の登山は止めようと思い、山の会(「あだると山の会」)に入った。冬、同じ高岳の仙酔峡の沢でトップを登っていたYさんが、氷を踏み抜いて冷たい水に胸まで浸かってしまった。根子岳(東峰‥‥天狗峰‥‥西峰)をガイドの方にサポートしてもらってではあるが、縦走したことも思い出される。秋、東京からきたTさんを案内して、草千里を眺めながら烏帽子岳から杵島岳を巡ったことも楽しかった。阿蘇登山をした後は必ずといっていいほど、今回宿泊したかんぽの宿「阿蘇」の温泉で汗を流し生ビールを飲んで帰った。

阿蘇・根子岳 西峰より天狗峰、東峰を望む。 2004.11.03(脊髄損傷前)
九重での思い出も尽きない。長男がまだ小学生の頃、久住山に登って帰りにすがもり小屋に寄り、飴湯を飲んで冷えた身体を温めた。硫黄山が噴火する前はすがもり小屋がまだ営業していた。星生山で道に迷い硫黄山まで入り込んでしまったこともあった。その時は私がリーダーだったので赤恥をかいてしまった。正月、Oさんと久住山の稜線で立っていられない程の強風に吹かれた。視界は数メートルしかなく登頂を断念し久住分れの避難小屋に戻ろうとしていた時、ルートを外して迷っている登山者に出会った。長くさまよっていたのだろう、ツララが口ひげから数センチ垂れ下がっていた。翌日、大船山に登ったが頂上付近でOさんのアイゼンがポッキリ折れてしまった。今はもうなくなったが、彩林倶楽部という会員制の山小屋(ロッジ)があり家族でよく利用した。法華院温泉にも家族でよく泊まり自炊を楽しんだ。
九重・法華院温泉(秋の坊がつる) 2003.10.25(脊髄損傷前)
阿蘇・九重の山々にはこれまで数十回は登っただろう。歩けなくなった今は、思い出してみると懐かしさを通り越して狂おしい気持ちになる。
九重夢大吊橋 2015.10.21
今回の旅行は天候に恵まれた。牧ノ戸付近はすでに紅葉していた。夢大吊橋では震動の滝を見ながら車椅子で往復した。そして何より良かったことは、参加者全員がゆっくり食事ができお酒が飲めたことである。日帰りの旅行では車の運転をする人はアルコールは駄目である。今回は皆さんよく飲まれた。私はビールを大ジョッキで1杯半、家内も同じ量を飲んだ。4杯以上飲みさらに焼酎を追加した人もいた。話も弾みカラオケでさらに盛り上がった。親睦が深まったいい時間だった。宿泊しないと得られない貴重な至福のひとときだった。
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