佐藤賢一「オクシタニア」 他を読む。(1)2019-05-06


          近い所から 北鎌尾根、硫黄尾根、裏銀座の北アルプスの稜線
            2004.8.04(脊髄損傷前)



 次の小説を読んだ。
A オクシタニア 佐藤賢一 集英社文庫
B 旅涯ての地 板東眞砂子 角川文庫
C 聖灰の暗号 帚木蓬生 新潮社
D 路上の人 堀田善衛 新潮社

 歴史の本を読んでいて  ”異端” ”秘密結社”  ”○○の乱” などの文字があると、それはどんな集団でどんな教えを信じてどんな事と対決していたのかと、興味をそそられテンションが上がる。歴史のうねりとともにそこに民衆の反乱というか、やむにやまれぬ庶民の渇望の呻きのようなものが聞こえるような気がするからである。読んだ四冊の小説はいずれも、中世ヨーロッパでローマ教皇から異端とされた ”カタリ派” を題材とした小説である。内容が深く濃密で、久しぶりに小説を読む醍醐味を味わい堪能した。

 カタリ派弾圧の歴史を、上の四冊の範囲で大まかになぞると次のようになる。
① 1209年、ローマ教皇インノケンティウス3世はフランス王フィリップ2世と協議して十字軍を召集し、総指揮を北フランスの小領主シモン・ド・モンフォールとして、異端派根絶を目指しオクシタニア(ピレネー山脈でカタロニアと国境を接する南フランス一帯)を攻撃し住民を虐殺した。それまで異教徒に向けられていた十字軍遠征が、異端とはいえ同じキリスト教徒に向けられ、カタリ派を保護したとしてトゥールーズ伯のレモン7世をはじめオクシタニアの諸侯を弾圧した、所謂アルビジョア十字軍(1209~1229)である。カタリ派 は、トゥールーズを中心にオクシタニアで勢力を誇っていた。トゥールーズは気候が温暖で経済的に豊かなオクシタニアの中心で、当時ヨーロッパで有数の都市の一つであり、曲がりなりにも市民による自治が行われていた(コミューン)。

② 1232年、ローマ教皇グレゴリウス9世はそれまでの異端派弾圧の仕組をを改めて異端審問制度(異端裁判所)を作った。開明的な神聖ローマ帝国(ドイツ)皇帝フリードリッヒ二世による「メルフィ憲章」の公表(1231、法治国家の宣言)に対抗する必要上余儀なくなされたものであった。ドミニコ会の修道士を異端審問官として各地に派遣して、しらみつぶしに異端派を摘発し改宗しない場合には火刑に処した。カタリ派はその教義で嘘をつくことを禁じていたので、帰依者(信者)や完徳者(聖職者)は審問されると正直に答え、芋づる式に逮捕されてしまった。

③ 1244年、追いつめられたカタリ派はピレネー山中のモンセギュールの山城に集結し、そこを最期の砦として信仰を守っていたが、フランス王ルイ9世の軍隊に包囲攻撃され陥落した。カタリ派の信仰を捨てることを拒否した200人以上の帰依者と完徳者は、死ぬと天国にいけるという教えに殉じ火刑に処せられていった。

④ 14世紀に入ってもさらにその後も、ガリレオ裁判(1633)が示すように異端審問制度は執拗に続いた、そして内容は少し変わったが現在でも続いている。 1321年、カタリ派は最後の完徳者が捕えられ衰退していった。

 A~Dの四冊の歴史的・地理的な舞台は次の通りである。

 Aは、オクシタニアを舞台にアルビジョア十字軍の遠征からピレネー山中のモンセギュール城陥落までを、カタリ派(異端)とドミニコ会(正統)の双方の立場で、人の心に深く分け入りそのディテイルを濃密に描いている。内容は深く、正統派と異端派の論争のさわりが分かったような気がする。ヨーロッパの中世は古代ギリシャ・ローマの科学的水準が大きく後退したキリスト教一辺倒の時代であり、神学論争は切実な問題だったと思われる。干からびたドグマ(教義)の話ではなく、人が生きることを深く問う内容である。読んで損はない、いや読まないと損する一冊である。

 Bは、地理的には博多の中国(宋)人街~元の大都(現在の北京)~コンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)~ヴェネツィア~南フランス山中の廃墟の山城 と当時の世界の東の涯てから西の涯てまでに及んでいる。元寇(弘安の役 1281)、マルコ・ポーロ(東方見聞録 1300頃?)、聖杯伝説、マグダラのマリアの福音書などをストーリーに織り込み、主人公(父が中国人、母が日本人の博多生まれの男)の13世紀末から14世紀始めにかけての数奇で波乱に富んだ物語である。内容は深い。作品中、ヴェネツィアの一ラテン語教師が述べる次の言葉は示唆的である。「誰が東を決め、西を決めたのだ。誰が正統を決め、異端を決めたのだ。西もさらに西の国にいけば、東といわれる。正統もやがて異端といわれる。」 小説の後段から終わりにかけては感動的である。

 Cはミステリー仕立てで、異端審問制度がまだ苛酷に続いていた14世紀始めのオクシタニアが舞台である。ドミニコ会の若き僧が書き残した次の詩が、本文中何度もリフレインされる。

  空は青く大地は緑。
  それなのに私は悲しい。
  鳥が飛び兎が跳ねる。
  それなのに私は悲しい。

  生きた人が焼かれるのを見たからだ。
  焼かれる人の祈りを聞いたからだ。
  煙として立ち昇る人の匂いをかいだからだ。
  灰の上をかすめる風の温もりを感じたからだ。

  この悲しみは僧衣のように、いつまでも私を包む。
  私がいつかどこかで、道のかたわらで斃(たお)れるまで。

 Dは、スペインのトレド(当時、ヨーロッパの文化の中心地の一つ)~オクシタ二ア~北イタリアを舞台に、13世紀初め頃からピレネー山中のモンセギュール城陥落までを描いている。A~Cの三冊は近頃書かれた作品であるが、堀田善衛のこの小説は1985年の出版で比較的古い。カタリ派について私が疑問に感じていることを、作者が代弁して述べているのではないのかと思われる所が多々あり、カタリ派がどんな宗教かがよく分かる。例えば、次のような場面がある。カタリ派を好意的に思っているある騎士(本小説の主人公の一人)が、カタリ派の完徳者にピレネーの山中で出逢い質問する。(私の言葉で書くと) 主よ、ピレネーの山並は雪をいただき、渓流はゆったりと谷を流れている。緑の野には花々が咲き乱れ風に揺れている。あなた方はこの世を否定的に捉えられているとしても、目の前のこの自然を見て心を動かされ美しいとはお思いになりませんか? 完徳者がなんと答えたかは小説に譲ろう。

 さて、上の四冊の小説を読んで<二つの問>が根源的に惹起する。<第一の問> カタリ派は何故異端として弾圧されたのか。これは上の四冊の小説のテーマそのものでもある。歴史の上では一般に弾圧された側の文書が残ることは少ない。焚書で根絶されてしまうからである。カタリ派は何を民衆に語ったのか、今でもよく分かっていない。ローマ教皇側の資料は残っている、カタリ派側から書かれた資料の発見を今後に期待し、歴史家の実証的研究に待ちたい。その上で、小説を読んだ私の感想を独善的にかつ軽々に述べさせてもらうと次の通りである。

 中世のヨーロッパではローマ教会とその教皇・司教らの聖職者が宗教世界の唯一の権威であった。しかし、司教らは贅沢三昧の生活をし実質上妻帯することも普通で、ローマ教会の堕落は甚だしかった。カタリ派の聖職者は禁欲的で清貧に甘んじた生活をし、ローマ教会とは雲泥の違いがあり人々はカタリ派に惹かれていった。その意味でカタリ派への信仰の傾斜はローマ教会を批判する民衆の運動であったとも言える。カタリ派にとっては少し辛口な見方になるかもしれないが、以下その教義について考えてみたい。

(これから上の小説を読もうと思っている方は、以下の青字の部分は読まない方がいいかもしれない。以下を読んでしまうと、ネタバレのマジックを見るようで小説の興味が半減するかもしれない。)

 カタリ派はキリスト教の衣を纏っているが、似て非なる別の宗教ではないのか。異端などではなく異教ではないのか。ヨーロッパの地であるからキリスト教の衣を纏うのは仕方がない。しかしその教義は徹底した二元論である。現世は悪魔が作った世界であり、この世では努力することも成功することも財産を貯めることも意味がない、悪魔の世界での出来事だからである。この世では生きること自体に意味がない、信じ難い程のニヒリズムであるが、これがカタリ派のこの世の理解である。
 
 この世の苦楽を味わい、意味があるかないか判らないがそこで悪戦苦闘することをもって、人が生きることだと了解している私のような世俗的人間には、到底理解できない境地である。おそらく科学的知識が乏しく、キリスト教の権威だけが高かった時代であったが故であると思う。

 カタリ派では人は死ぬに際して、完徳者(聖職者)によるコンソレメントウム(額の上に手をかざすような儀式、救慰礼)を受けることにより、肉体は朽ちても精神は天上界に行ける。さもなくば精神はこの世に再び舞い戻り、別の肉体を借りて精神の袋としこの地上界に留まり続ける、肉体が死ぬとまたこれを繰り返す、つまりこの世(地獄)で輪廻する。私如きにはその方が永遠の命をもらったようでいいと思うのだが、この世は悪魔が作った世界つまり地獄であるから、そこから脱出して天国へと救われなければならないというのがカタリ派の教えである。従って、キリストがゴルゴダの丘で磔刑に処され、その後この世に復活したという新約聖書の四つの福音書の記述は、それが肉体を伴ってのこの世での再現とするならば、カタリ派にとってはとんでもない話ということになる。(ご存じのように”復活”については様々な説がある。)

 キリストの理解、洗礼の仕方、教会のあり方、聖職者の生き方、などなどカタリ派の教義は正統派の教義とことごとく対立し相容れない。翻って考えてみると、カタリ派の二元論はゾロアスター教→マニ教の系譜に近似し、ユダヤ教→キリスト教→イスラム教の一神教の系譜からはかけ離れていると思う。
 
 神がいるならば、なにゆえ災害があり病がありもろもろの苦しみがあるのか、太古の昔から人間は考えた。中央アジアの地でかのゾロアスターはそれまでの土俗的地域的宗教を超えて、善神(アフラ・マズダ)と悪神(アーリマン)の二元論の宇宙の普遍的体系を作り上げた。この世(現世)は二つの神の闘争の場で、アフラ・マズダが勝利し正義が実現するように務めるのが人間の生きる道であると教えた。この世は永遠には続かずいつか終末が訪れ、最後の審判が行われる。その時アフラ・マズダに味方した者は天国へと救済され、アーリマンに味方した者は地獄に落ちる。
 
 カタリ派はゾロアスター教の二元論の系譜にあるとはいえ根本的に違う点がある。この世(現世)の捉え方と天国への救済のされ方が全く違う。精神と肉体、天国(天上界)と地獄(地上界)、神と悪魔を極限までに峻別し、そしてその枠組みで人間の生死を二分して理解する。見事なまでの割り切り方である。人はこの世でどのように努力し生きたのかということとは関係なく、死に際してコンソレメントウムさえ受ければそれだけでいともたやすく天国へ行ける。この突き抜けた無邪気なまでのオプティミズムは、現世で生きることを悲しいまでにペシミズム的に考える救い難い厭世思想と対をなしている。マニ教と酷似している。

 災害があり病がありもろもろの苦しみがある。ユダヤ教から始まる一神教は二元論のようにそれは悪神の仕業とは考えない。神の沈黙、神がこの世に全面的に動いていないからである、何故神は動かないのか、その事を前にして人間はどうしたらいいのか、御利益宗教を超えた本格化な一神教はここから生まれる。

 キリスト教の歴史は、曖昧な解釈を許してしまう教義の多義性との闘いであったと思う。キリスト教に限らず一般に宗教の歴史は、その中で勝利した教義が正統派として残っていった。歴史とそれを示す書類は勝ち残った正統派に都合のいいように作られる。そうして教義は精緻化され純化され、敗者ははじめから存在しなかったかのように歴史から抹殺される。
 
 カタリ派は正統派にとっては教義が少しだけ違うというレベルではなく、この世を根底的に否定するがゆえに、邪宗・邪教の類と考えられた。たとえそういう教えであったとしても、民衆の支持を得て生き残る道はなかったのか、期待したい気持ちも少なからずあるが、事実は徹底的に弾圧根絶され、歴史はルネサンス、宗教改革の時代へとつながっていく。

 (2)へ続く。