佐藤賢一「オクシタ二ア」 他を読む。(2)2019-05-11



   犬が岳~求菩提山(福岡)の林間の登山道   2005.05.08(脊髄損傷前)



(1)から続く。

 <問2>は、<問1>の影に隠れて見えないように思わえる。しかし、眼をじっと凝らして見ようとすると見える。物事を皮相的にしか見ない人には見えない、物事を根源的に見ようとする人には見える。<問2>は、種明かしされるとなんだそんな事かということになる。

 ドミニコ会の修道士たちは、異端審問官として長きにわたり異端派の人々に残酷な拷問を加え、嘘であってもでっちあげて自白とし火刑に処していった。魔女裁判でも然りである。正統派のキリスト教を守り、その道から外れた異端派を正しい教えなるものに改宗させることは、全く正しいこととして信じて疑わない。その己の傲慢さにも微塵も気づかない。そのための嘘も拷問も殺人も許されて正しい行為と信じる。本人は正しいことをし正しい生き方をしていると胸を張る…………神に仕える者として。

 ドミニコ会の修道士達はどうして自らの過ちに気がつかなかったのだろうか、これが<問2>である。自らの心の中からそして同じ主義主張を抱く同じ仲間の中から、その異端審問の行き過ぎを指摘し是正しようという動きが全く見られない。その契機が現われる気配さえも感じられない、恐ろしい限りである。このことはカタリ派を弾圧したドミニコ会に限ったことではない、ローマ教皇然り、ローマ教会然りである。権力を持つ側の弾圧は是正されることなく、正しいこととして無自覚のままに延々と長期間続く。人類の歴史で洋の東西を問わず、何度も何度も繰り返された人間の最も愚かな面である。

 西暦2,000年つまり紀元後二千年紀の最後の年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ二世はローマ教会がこれまでの歴史で次の罪を犯してきたとして神に懺悔した。ユダヤ人に対する迫害の容認、十字軍遠征と異端審問、アフリカ・アメリカ大陸での布教で原住民に対する差別と権利の侵害、がそれである。今までローマ教皇は誰一人としてかかる過ち(罪)を分からなかったとでもいうのだろうか。迫害を受け不幸のうちに死んでいった幾千万幾億の人間の無念さは、数百年後に一教皇に謝られても無くなるはずもなく、その怨念は未来永劫この世に漂い続ける。懺悔し謝罪すべき内容は犯した過ちの数々のみならず、いやそれよりはるかに重大に、それを許してしまったローマ教会のかかる組織の在り方そのものであったはずである。

 主義主張は主義主張でいい。人が百人いれば百人の主義主張があるのはそれはそれで自然なことであると思う。問題はその次にある。自らの主義主張に従ってまっしぐらに走る人(集団)は、往々にして反対意見・少数意見に耳をふさぐ。己がしていることに自己満足し省みることがない。それ故に起こった歴史の悲劇を我々人類は数多く経験してきた。何故そうなってしまうのか?
 
 <問2>を普遍化したこの問は、いつも私の頭を離れないテーマである。このブログでも取り上げて考える所をこれまでも書いたことがある。<管賀江留郎「道徳感情はなぜ人を誤らせるのか」を読む。>  その時は、進化生物学とアダム・スミスの「道徳感情論」に依拠し情報の問題にも言及した。リベラル・アーツの問題もあり、道徳観・倫理観の問題もあると思う。組織の在り方まで範囲を拡げると、国家・地方政府の組織、法体系、民主主義と三権分立等、複雑かつ多岐にわたる。私一人でどうこうできる問題ではない。

 私が希うことは、己の主義主張の内部に己のそれを客観視する心の仕組を組み込むことはできないのであろうか一つの思想を抱く集団の内部にそれを客観視する組織を仕組として組み込むことはできないのであろうか、ということである。
 
 先の四冊の小説を読み、刺激され連想して次の本を読みたく思う。
(1)13世紀という同じ時代を生きた人間として、イタリア・アッシジの聖フランチェスコ(1182~1226)も気になる一人だが、中世のヨーロッパで抜きん出てそびえ立っている男がいる、神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世(1194~1250)である。塩野七生氏著の彼の伝記。ダンテ(1265~1321)は彼の死後15年後の生まれである。

(2)中世のヨーロッパではローマ教会は聖職者以外には聖書を読むことを許さなかった。民衆が聖書を読んで勝手なことを言い出すことを恐れたためであると思う。かかる時代にカタリ派はいかにして人々の心をつかんでいったのであろうか。カタリ派の聖職者は民衆一人一人に直接に語り教えを説いていった、しかも自らは清貧で禁欲的な生活を貫いた。これは、ローマ教会側ではできないことであった。人々は自然とカタリ派に惹かれていった。…………歴史では似たようなことが繰り返される、連想して場所も時代もはるかに飛躍するが、毛沢東の軍隊は蒋介石の国民党軍にどうして勝利することができたのであろうか。人口の大部分を占める農民をどうして味方につけることができたのであろうか、ここには中国革命の核心が潜んでいる。毛沢東の著作または中国人民解放軍の歴史(創設~1949)。

(3)ウンベルト・エーコ 「薔薇の名前」。 14世紀初め、北イタリアのベネディクト会の修道院で起こった連続怪死事件…………異端は作られるのか、キリストは笑ったか、アリストテレスの詩学…………そして知の迷宮へ。