76歳になった。2022-09-04




        2003年7月6日(脊髄損傷前)   斜里岳(北海道)



「……市井に漂いて商買知らず、隠に似て隠にあらず、賢に似て賢ならず、物知りに似て何も知らず、世のまがい者、唐の大和の数ある道々、技能、雑芸、滑稽の類まで知らぬ事なげに、口にまかせ筆に走らせ一生を囀(さえず)り散らし、今わの際に言うべく思うべき真の一生事は一字半言もなき倒惑」
 
 近松門左衛門の辞世の筆であるという。この見事なまでの自虐的な逆説を読んだだけで近松門左衛門なる者がただ者でないことが分かる。これが何故に逆説であるのか。長年にわたり私が経験したことであるが、物事のなんたるかを知らない者は一般に傲慢であり、逆によく知る者は一般に謙虚である。学べば学ぶほど人は自分がいかに何も知らないかをそしていかに愚かであるかを自覚する。

 ところでこの身の表し方あるいは隠し方のなんとカッコイイことか、これだけで近松門左衛門のファンになってしまう。私も76歳を過ぎ「今わの際」もそう遠くもない身の上のはずであるが、その切実感も無いまま「言うべく思うべき真の一生事」など皆目頭に浮かばずまた考えようともせず、相変わらずの読書と囲碁と映画の好き勝手な日々を送っている。万事にわたり独りよがりであることはじゅうじゅう自覚しているつもりだが、死なるものはまだまだずっと先の話と内心思っているということであろう。

 とはいうものの私のこれまでの人生って何だったんだろうと人並みに思わないことはない。物心ついてから(幼稚園の頃か)今日に至るまで、様々な出来事や出会った人々また読んだ本の事などを思い出し、必ずしも世間並みではなかったこれまでの自分の来し方をどんな気持で思い返せばいいのだろうか。自分の人生が甲だったのだ乙だったのだと、肯定でも否定でもなく反省でも自画自賛でもなく、何の内省も交えず事実通り思い返すことはまだ少しつらい感じがする。なぜならそれはまだこれからの人生がわずかだが私には残っているという意味は大きいからだと付け加えざるをえない。

 「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る。彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外の者にはなれなかった。これは驚く可き事実である。」 (様々なる意匠 小林秀雄)

 有名な「様々なる意匠」に出てくるこの文章はどう読めばいいのか。すごいことをいっているのだろうか、読み進めていくと小林秀雄は「宿命」なるものを云おうとしているようだが。

 「然し彼は彼以外の者にはなれなかった。」 確かに然り、私は私以外の者にはなれなかった。この事は単なる結果論ではない。私以外の者にならないために悪戦苦闘して生きるのが私が世を渡る流儀だった。これ以外にどんな生き方があったろうか、そしてその喜怒哀楽の内実を誰が知ろうか。私以外の者になるということはほとんど死を意味する。

 この小林秀雄の同義反復のような表現をもう少し正しく分析するならば、人は身体を同一物として死ぬまで継続して生きているが故に、この内心の自分を修復しつつも同じ者として継続しているとついつい錯覚してしまう。この錯覚が物象化した観念の産物が「私」にほかならない。万物が生々流転の相にあるが如く、自分も日々変化し10年前20年前の自分とは同じではないはずだ。かかる変化変貌の契機こそが第一義に語られるべきことであり聞くに値することである。

 さらに正確にいえば小林秀雄のいうようには人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る訳ではない。そんな「この世」などこの世のどこにも無い。「様々なる意匠」が書かれた1929年は2年後に満州事変が勃発した時代だったことを想起してみればよい。もっとはっきり例を挙げれば、アメリカで黒人の奴隷として生まれた人間にはどんな可能性があったというのか、悲惨な人生を送るという一つの可能性しか残されていなかったのではないか。
 
 「仏道を習うということは、自己を習うのである。自己を習うというのは、自己を忘れるのである。自己を忘れるというのは、万法に証(さと)らされるのである。万法に証らされるというのは、自己の身(からだ)と心、そして他人の身と心がなくなってしまうのである。」 (正法眼蔵・現成公案 道元)

 「仏法を求めるとは、自己とは何かを問うことである。自己とは何かを問うのは、自己を忘れることである。答えを自己のなかに求めないことだ。すべての現象のなかに自己を証(あか)すのだ。自己とはもろもろの事物のなかに在ってはじめてその存在を知るものである。覚りとは、自己および自己を認識する己れをも脱落させて真の無辺際な真理のなかに証すことである。こうしたことから、覚りの姿は自らには覚られないままに現われてゆくものだ。」(正法眼蔵現代文訳 石井恭二 河出文庫)

 つくづく自己なるものに捕らわれ迷い続けた人生だったと思う。連想ゲーム的な読書をしていると何の因果か道元に出会った。道元は言う、「みづからをしらんことをもとむるは、いけるもののさだまれる心なり。」(正法眼蔵) 之を読んで私は私が考え続けたことの大筋は間違っていなかったと安堵した。私は”廣松渉”を理解したいと思い廣松渉の本を読んでいるが、認識論の世界で”道元”となんと似通っていることか。

 マハトマ・ガンジーの言葉「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」

 明日死ぬと思っては生きることなどできっこない、そう思っただけで気が狂ってしまう。永遠に生きると思った途端に全身脱力して立ち上がれなくなる。そんな極端で無茶なことを言われても困るし実行できない。ガンジーはそれぞれの決意の高まりを求めたのだろう。‥‥76歳になっても学ぶべきことはまだまだ多いはずではないのか、ガンジーの声が聞こえそうである。